Miranda Data Base - HOME - INDEX - Last up date 02/09/21

MIRAX Laborec

これはII e-bayから

発売-1965から
定価-
シャッター、B、1-1/125


フォカベル、マクロンなどと同じミラックス商事が販売元になって学術写真用に特化させたミランダ。レンズのマウントは専用で外爪バヨネットが加わって3重になり珍しいトリプルマウント。ミランダのレンズと互換性がないが
ネジで外せるので通常のミランダマウントに付け替える事が出来ます。
基本的にはケーブルレリーズシャッター(II型から上部にスケッチレリーズ用のレリーズソケットも)のみ、シンクロもx接点のみ。
絞り連動機能とクイックリターンが省かれている。
シャッターを押すとミラーは上昇、シャッターレリーズ、押すのをやめるとミラーは復元するタイプで、ポンプでひょこひょこ動くカエルのおもちゃのようだ。
ミラックスラボレックは、 I 、II、III型の3タイプがカタログにあり、ミラ−のタイプ、ファインダーのリリース方式などI 型はミランダ F、II 型がミランダGボディーを基にしているようだ。III型は販売されたかどうか不明。

*ピントルーペファインダー側にコンデンサーレンズがある。

ブリッジ的なモデルも確認されており一概にI型はこう、II型はこうとは言えない部分もある。
元来、特殊用途のカメラなため改造品も見られ、ラボレックの全貌はなかなか見えないというのが現状です。



Laborec-II

発売-1966から
定価-
シャッター、B、1-1/125


II 型はミランダGを基にしているようでミラー切れをなくした後退上昇大型ミラー、ピントグラス交換のタイプ。このピントグラスはコンデンサーレンズが入っていない専用タイプ。ミランダGにあったせっかくのミラーアップレバーを省いているのが不思議。
このタイプ以降、ファインダーリリースノブがセンソマットと同じ巻き上げノブの部分になったとされる。


Laborec-II ELECTRO

illustration courtesy of Miranda volunteer of japan-on

発売-1967から
定価-
シャッター、B、1-1/125
ケーブルレリーズシャッターのみ

取り外せないモータードライブを装備していてブラックのみの仕様だったと思われます。

Laborec-III
発売-1975
シャッター、B、1-1/500にバージョンアップ。マクロンECが標準レンズでミランダマウント(らしい)、自動絞りだったかも知れない。



ラボレックによく見られる改造されたワンオフや試作品


ラボレック試作品の多くはミランダ倒産時に、差し押さえの価値無し、として払い下げられ市場に流れたものがほとんどだと思うがカメラレビューの「ミランダカメラのその全てとその歴史」の次の号、高島鎮雄「体験的 一眼レフ進化論」15「ミランダとその周辺」では高島氏個人所有のラボレックでミラーアップ付きのものを紹介されていた。

下図はニコンマウント改造ラボレック II。こういう改造はさぞかし多かっただろう。
ただ、ミラー回りはラボレック IIのようだがファインダーリリースボタンはセンソマット以前のタイプ。
この改造は見たところカメラ修理屋やメーカーではなく腕に覚えのある研究者が自らしたようにも思える。
マウントは他社製リングの流用らしく、加工後ボディーに接着されているようで修理などはまったくかんがえていないようだ。

 

以下は個人所有の試作機。ミランダをコレクトされている方の御好意で大変珍しいラボレックを紹介できることになりました
| Lux's Laborec Motor Trial Type | 
| Laborec of trial product by O.N |
倒産後に、特にラボレックは試作(特注?)モデルがけっこう出回っていたと言う話で、これらもその一つのようだ。
これらの試作品(ラボレックに限らず)と思われるミランダは倒産時に工場の整理をしたヒトからさらにある業者さんに卸された。それらが後に中古カメラ店に出回ったようである。


高島
鎮雄の記事を読むと、今から20年ほど前、1980年前後はこれらのミランダが出回ったピークだったように思える。
しかし未だにミランダのレンズなどが新品に近いものやスープリームが「箱」で出たりとまだまだどこかで 眠っているミランダもあるようだ。
このとき工場の整理をしたヒトと言うのは現在は引退されておられるようですがカメラ店をいくつか経営しておられ、ミランダにも関わっていたことがあり後にはフォクトレンダーにも関係されていたという、なにかと有名な方なので御存じなヒトも多いでしょう。
お店が閉店になったとき東北地方の古物業者さんに大半が譲られたという話が伝わっています。

 

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