miraken.gif
return index

【MSJ 会員心得】

ライカも買わず ニコンも買わず
ハッセルもアルパも買わぬ

一台だけカメラをもち
物慾はなく決して徘徊せず、いつもただ写真を撮っている
一日に白黒4本とネガと少しのポジを撮り
あらゆる煩悩を振り払うためにすべてさっぱり売り払いそして儲けず

下町の 築30年の木造の風呂なしの小さな四畳半一間のボロアパートにいて

東に珍品のレンズあれば新幹線代をまけさせてやり
西に黒いライカのMPあれば行ってニセモンやないのと言ってやり
南に買いそうな人あればどうせ写りは変わらないよといい
北に煽りや戦争があれば生き馬の目を抜くのはやめろといい

日照りの時は暗いレンズで撮り
運動会はオートフォーカスで撮り歩き
みんなに素人童貞と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず

そういうものにわたしはなりたい

MeDeO
03/07/11
(MeDeOこと目黒二郎はクラシックカメラレビュー等で主にズノウ光学の研究を発表していました。目黒二郎こと本名 鈴木周策は2012年11/26に心不全で亡くなられました。ご冥福をお祈りし感謝を捧げたいと思います)

Report of MSJ ミランダ研究会の活動

03/05/11 ミランダ研、最初で最後の楽しい集いにて

*問題の部分

この日、ミランダのほとんどのバリエーションと相当数のレアレンズ、アクセサリーが集まったMSJ最大のミーティングが行われた。
楽しい時間を過ごしたメンバーであったが、 なんと、当日こられなかった人の?さまよえる魂をも呼び寄せたのである!
(夜は中野、【とんかつTokinon】にてお疲れ様会があり、カメラレビュークラシックカメラ専科の萩谷剛さんもいらっしゃいました。)

*画像について:この日、G社のための取材協力をダシに集まって大騒ぎをしていた…。この写真を見た人たちから『もしかしてお気づきかもしれないが』とご指摘が相次いだのが、緑のジャンパーを着た人の頭のすぐ後ろにあるナニカだ。
これは…、種明かしを先にしますと、後ろにいたG社カメラマン氏がおちゃめに頭を出しているだけです。      たぶんね。
ちなみに、緑のジャンパーはサトウさん。佐藤さん、あなたという人ほんとにもう…

●2003年

【Gakken CAPA特別編集カメラGet!スーパームック-11入門金属カメラオールガイド】
会員総出でミランダの献体をしまして、ほとんどの機種を協力できました。

●2004年

【ソノラマMOOK カメラレビュークラシックカメラ専科 No73】
巻頭 ミランダTの使い方

【散発的にTシャツなどを作って頒布しています】
2003年 Tシャツ、2004年 Tシャツ、トレーナー、2005年 トレーナー

05/03/01

Our creeds ミランダ研究会のこと

【ミランダ研究会について】

 1997年頃、マックにパワー-PC搭載機のコンシューマータイプがでました。
そして、仕事でウェブデザインを始めなければならなくなり、練習のために嫌々
H.Pを作ったのが始まりです。
ミランダはと言うと、その前年、平成8年6月5日、初めてセンソレックスIIを、今は亡き松坂屋で田村さんから¥12,000(レシート有り)で買いました。
ミランダ歴もPC歴もまだ浅い「若者」と言えましょう。

とは言え、 それ以前にミランダには親しんではいたのです。
サトウさんと言う年上の友人がいくつか買っては、その都度見せびらかしに来たからです。
一度などは朝10時に横浜で買ったミランダCを、11時半には大田区のわたしのウチで見せびらかすという、それはもう凄まじいフットワークと熱の入りようでした。ちなみにサトウさんは絶対に高速道路を使いません。
わたしはMiranda C のシャッターのショックの少なさや、仕上げのすばらしさに驚き、大変うらやましく思い、素直な気持ちで「いいなあ。」といいました。

私がうらやんだせいでしょうか、だとしたら罪なことをしましたが、それからというものはMIRANDA Sとか、そしてREIIと言った新しい機種まで、買ったらすぐ、サトウさんは2時間後には必ず持ってきて見せ(られ)ていました。
見せてもらってはいたのですが、サトウさんは巻き上げたり、フィルムを入れようとすると怒るので、ミランダは見るだけのものでありました。
ですから親しむとまではなかなか行きませんでしたし、ミランダは当時いつでもどこでも手には入るものでもありませんので、ちょっといいなあ、という程度に思っていたのです。ましてや自分でユーザーになるとは思ってもいなかったのです。

ところが、平成8年6月5日、松坂屋でぽつんと置いてあったセンソレックスIIに出会ってしまったのです。センソレックスIIは追針式メーター内蔵の、いわばオーソドックスで当たり前のカメラです。
ですが、センソレックスIIは独特のフォルムが私を虜にし、追針式メーターのカメラの良さを思い出させたのです。

それから上記の通り…HTMLを打ち込むエディターソフトで最初に練習がわりにつくったホームページコンテンツのひとつがミランダです。
苦痛だったソフトやPCの勉強が楽しくなったのは、今思うとミランダのおかげでしょう。ありがとうミランダ。
その頃の正式名称は「ミランダ博物館=ミランダ研究会」(たぶん)で、のちに「みらんぢあ」というタイトルになったことがあります。

((MSJちょっと寄り道))
*MIRANDAを打ち間違えて変換し損なったのが「みらんぢあ」であった。ちょうどフィンランディアを聞いていたわたしは、これもいいじゃないか!と、しばらくハンドルにもしていた。
さらに掲示板で「あ」を打ちそこねたときの「みらんぢ」で現在に至るハンドルなのである。
名前は後々まで残るので本当に慎重にしなくてならないのだ、ほんとずーっと後々まで響くので間違えたら間違えた!とはっきり言わないといけないの。例えば…コーワのコマフレックスを見てもそれは明らかである。

 ところで、このアバウトミーを見て気がつかれたと思いますが、見なくても気が付いておられることでしょうが、会を名乗ってはいますがはっきり言ってほとんど一人であり、しかも大変ゆるいスタンスで研究を進めています。
厳しいコレクターの目も持ち合わせていない上、向上心もユルユルなのです。
これだけの 記事を蓄積できたのは、ひとえにこの研究会に集ってくださった皆さまのご努力、ご助力です。

最後に、ミランダという、このなかば忘れられたカメラについて心に小さなタネを蒔かれた皆さん
どうかこのタネが皆さんの大きな収穫となりますように!

04/02/29

 

◆当サイトのページ、画像イメージへのダイレクトリンクは禁止です、当方利用のサーバーに負担がかかる場合があり、一般 的に迷惑行為です。
◆◆リンクは自由です。それから情報はここで読まれた方のものですが、 著作権放棄はしていません。
コピペ、転載の際には必ずミランダ研究会の出典であることを明らかにしてください。とくにヤフオク。

Web Started 1998 + designed exclusively for MIRANDA enthusiasts / by Hiroki -Mirand i- Yamashita


踊れ!

- Top -