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02/02/20 07/12/27 Last up date 08/06/02

第二世代のミランダ

Miranda BはMiranda Tの上位機種とされ、国内販売のみだった。逆にMIranda Cは国内販売されておらず、国内のコレクターには珍しい機種であった。
BとCは、つまり同じカメラでセルフタイマーを取り付けたタイプは輸出専用となったのである。

ミランダ初のクイックリターンミラーSLR

Miranda 50mmf1.9 PAD付き¥59,700、Arco 50mmf2.4付き¥49,400、Body ¥40,700という記述もある。
クイックリターンミラーを採用したミランダ最初の機種である。Miranda Bは日本国内のみの販売であった。
フォーカルプレーンシャッター B,1sec〜1/1000、視野率 96%、ファインダーは着脱式でデザイン、レイアウトは基本的にミランダA-IIと同じだが、貼り革が人工皮革となった。外観上でMiranda Aと見分けがつくポイントは、この貼り革以外に無いから背面のシリアルナンバーに刻印されたモデル名でチェックするしかないだろう。
「Miranda BはMiranda A-2のシャッターをインスタントリターン化した。」と言う記述も見られるが、Miranda AのシャッターはMirandaTのバリエーションであり、構造的にも別系統になろうかと思う。 Miranda BタイプのシャッターはMiranda DR(1964年)まで継続したと考えている。

当時、高価な部類にあったミランダはMiranda Bを最後に次第に大衆機に路線を変えていく。
この頃は一眼レフ自体が特殊なカメラであったこともあるが、生産体制も弱かった。もともと新興の企業のため販売に関しても日本国内では苦慮していたようである。そんななか、突然リコーがミランダを販売した。理研光学(RICOH)の市村清の鶴の一声といわれ、国内の販売はリコーの販売網を通じて全国に流通することとなったが、これも 一時的であった。
1960年にはMiranda Tの廉価タイプMiranda Sとともに国内販売が停止、そのままMiranda Bを含む旧型ボディー(12角形)シリーズはディスコンティニューになり、海外では1/500シャッターとなった廉価タイプMiranda Dが新たに発売された。

かつてMiranda Bは「シャッター作動音は驚くほど静かで、ミラーショックは極少である。」と評されたカメラである。
機会があったらペンタックス、ニコン、ミノルタとは別世界のシャッターをぜひ体験していただきたい。
当時の使用レポート記事には舞台撮影のカメラマンからの賛辞などが多いのだが、その理由はこのカメラの特徴である「世界中のレンズが使える」も大きな要素であろう。
国内外の様々な大口径長焦点レンズが使えたからである。当時としては比較的特殊な黒塗装だが、Miranda Bのブラックボディーは比較的よく見られる。当時のミランダがプロフェッショナルな用途にあったことが想像され興味深い。

Miranda B

1958.May : price 61500(59700)Yen / Standard lens : Miranda 50mm f1.9, Soligor Miranda 50mm f1.9
49400-Yen / ALCO 50mmf2.4 、Body 40700Yen
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000


Illustration courtesy of Miranda volunteer YK.

Miranda C

1959-4 Release. price -yen / , Instant mirror, Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500 and 1000
Standard lens : prominar50mm f1.9, soligor miranda 50mm f1.9

miranda cシリアルナンバーの#601xxxから確認される。
総生産台数は4000台を越えないのではないかと思うが、この時期のミランダでは普通だ。

Miranda Cに搭載されたセルフタイマーは途中解除が可能なセルフタイマーで、後のオートメックスシリーズにも採用されていた機構である。
時代は下るが、アサヒカメラ誌1965年の『 ミランダオートメックス-IIIのニューフェイス診断』に、途中解除が可能なこの機構は「世界初なのでは?」と紹介されていたが、1959年のこのモデルに既に搭載されていたわけである。
なお、ドイツのエディクサ・ウィルジンにも既に同様のものがあったようだが当時の日本では知られていなかったのであろう。ちなみに Miranda Cのタイマーのシャッター起動時間は約七秒である。

 

miranda c一眼レフが特殊なカメラである、などというのは今では想像するのも難しい。
「MIranda以前からエキザクタもアルパもあったじゃないの?」と考えるのだが、古雑誌を読みあさっていると、当時の一眼レフに対する驚くべき迷信、風評、というか、無知には目を見張るものがある。
曰く、ピントが合わないとか、速写性に欠けると言われ、レンジファインダーに取って代わって35mm高級機になることはあり得ない!と断言されていたのである。カメラマニア独特の保守的で頑迷な、新しいもの、新奇なものは、まず疑ってやろうという気質は現代でもほとんど変わらないような気がするが、時を隔ててみると微笑ましくも感じる。

標準レンズ

標準レンズは、Prominar Miranda 50mmf1.9 (soligorは入らない)である。
MIranda Bから 黒鏡筒のレンズに代わったことが写真が当時の雑誌に見ることが出来る。国内ではMirandaBからこの半自動絞りレンズが初お目見えしている。

Prominer Miranda 50f1.9は1959年ころには「TY」シリアルのSoligor mirandaに名前を変えてしまうので、わずか一年だけと考えられる。内容的には後のKシリアルのレンズと同じものであろう。

ところで、いまでこそカリスマ的魅力で高い評価のプロミナーレンズだが、当時はどうであったろうか?
アサカメ誌1954年11月号に、コーワのカロフレックスを木村伊兵衛が国産カメラ使用記で取り上げている。
「まったくなじみの無いレンズだが...そう悪くはない」
といっているくらいで、1954年当時、後で非常に有名になるプロミナーは、未だ新興ブランドであった。このころのコーワの広告など見ると「高解像力」と「豊川工廠」の光学工場だった実績をうたっている。
また、海外でのプロミナーブランドは映写機用のレンズ(アナモフィック-anamorphic-レンズなど)で有名であったと聞く。

【ミランダB は新技術のかたまり! であった】

ミランダBのペンタプリズム(出展は当時のミランダ設計室執筆の記事による)

新設計で特殊なカットが施されており、従来のものより光線の異常反射防止に優れ特許がある
fig-1fig-2(雑誌掲載の図を模写)

ミランダBに採用されたボディー
「長期使用時の狂い、衝撃、分解組み立てのさいの光学系への狂いを排した設計」の実用新案の匡体
fig-3fig-4fig-5

クイックリターン(インスタントリターン)ミラー

Miranda Bのインスタントミラー(クイック・リターンミラー)はシャッターの作動が終わるとミラーが復元するタイプでミランダのオリジナルデザインである。

当時いろいろな仕組みでクイックリターンのパテントが出ていたが、国産機ではアサヒフレックス、トプコンRについで3番目のクイックリターンミラーSLRになるだろうか?、低速と高速が2段に分かれ、低速優先、倍数系列は同じシャッター軸上になる同軸2系統である。ミラーのセット方式は現代のカメラと変わらない。当時の雑誌記事によると、本来ならフェニックスに採用される計画であったがフェニックスの開発を急がせたために見送られたとされる。
fig-6

【ミランダのクイックリターン機構について】
クイック・リターンミラーは、かなり早くミランダでも開発されており、オリオン精機時代の昭和22年(1947)に出された特許願903号「レフレックスカメラ」にクイック・リターンミラーの構造が特許出願されていました。
ここで、疑問になるのはペンタックスのクイックリターン特許(米国での特許)に抵触していたのかどうか?です。ニコンはNIKON Fのクイックリターン機構のためにペンタックスに対してなにがしかの支払いがあった、とされモータードライブに関して特許がクロスされたとも言われています。
すると、ミランダはどうだったのでしょう?
なお、1947年の特許出願に関しては、雑誌記事にあるだけで特許公告は未だ未発掘です。動作可能であったか? またミランダの特許が認可されていたかどうかは不明なままです。門外漢が古い特許を探すのは難しいです。

ちなみに、ペンタックスのクイックリターンの場合、国内では特許とならず実用新案になっています。
この実用新案の公告は先に1958年 に出されていた特許申請が「東京光学が似た物を出していた」ということで拒絶査定となっていた、とされています。
そして1959年、ニコンがNIKON Fを登場させますがクイックリターンに関して国内では両社にパテントを巡る係争がありました。
その後、国内では特許競争に敗れたペンタックスは米国で1960年にクイックリターン特許が認められ、アメリカという世界最大の市場では覇者となりました。
果たしてミランダはこれを回避できたのでしょうか?
それとも知られざる独自パテントがあったのでしょうか?

1958年の広告

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