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| Miranda Sensomat | Sensomat RE | Sensomat RS | Miranda Sensoret | Sensorex II | Auto Sensorex EE | Soligor TM | Sensomat RE-II |

| dx-3 | dx-3 Motor | EE-2 | Soligor TM-2 | 1978-later MIRANDA K-mount Miranda |

AICに買収されたミランダ

■■■■   ミランダの代理店だったAIC(Allied inpex corporation)は、1968年9月よりミランダカメラに買収を開始し、1969年1月に株式を全額取得し、創業者の荻原氏は会長職を勇退したのである。
ここにはAICが経営をコントロールするようになってからのミランダがこのコンテンツに集められている。

この時代は、カメラの電子化が進み自動化が押し進められた。dx-3、EE-2、コンパクトカメラのセンソレット等のユニークなモデルが忘れ難い、しかし、いずれも技術革新の波に乗ることができず経営は悪化したと云われる。
1976年の年末も押し迫った12月、A.I.Cからの資金が突如途絶え、ミランダは突然終焉を迎えた。
他のほとんどのカメラメーカーが歴史のある古い企業の中にあって唯一、戦後の焼け跡から起こったベンチャー企業であり、その意味でも大健闘したといえるだろう。
倒産によりミランダは跡形もなく消えてしまったが、長年にわたりアマチュアカメラマンに愛され続けたメーカーであった。

カメラの画像をクリックすると本文へリンクする、ピンクの文字で書かれたモデルは輸出用、国内では売られなかった機種である。

After A.I.C Miranda

Import trading company AIC(Allied inpex corporation), sold miranda camera world wide to 1950's.
AIC invested capital from September, 1968 in a miranda camera.
Mr. Ogiwara of the founder retires voluntarily from post of president in January, 1969.
AIC acquired all the stocks of Miranda.
miranda camera of this time was poor for a characteristic, but, dx-3, EE-2 were unique so pretty.
However, went bankrupt in 1976, and the miranda camera disappeared from history of Japanese camera.

The miranda camera came into existence from the town which became the ruins of WW-II.
This should be done special mention of.
I think that they fought hard smartly because many of camera companies which came into existence in after the war became extinct in 1950's.

Click!! model name or Illustration.

Late Miranda's characteristic and classifications.

MIRANDA Sensomat
1968.Aug : price 39,500-yen / Standard lens : Auto Miranda 50mm f1.9
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.

少し時代遅れになったMIRANDA Fにミラーメーターを組み込み、絞込部分測光TTL一眼レフとした。 他に大きな変更点は、 センソマット以後ファインダーの取り外しボタンが巻き戻しレバーの基部に変更された。センソマートと発音する。

SensomatMIRANDA Sensomat RE MIRANDA Sensomat RS
1970.May : price51,000-yen / Standard lens : Auto Miranda 50mm f1.4
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.

Sensomat RE以降、すべてのミランダはフィルム装てんが楽ちんポンなラピッドローディング・スプールが採用される。
絞り込みボタンの機構がセンソマットから少し変わった、ロックボタンの上にあった小さい解除ボタンは省略されている。
ボディー前面にシャッターのあるミランダ最後のモデルであった。

Sensomat RSは、Sensomat REの露出メーターを省き廉価にしたモデルである。
Sensomat RSからMIRANDAはシャッターが上部だけになり、ミランダの特徴が失われた。

MIRANDA SENSOREX-C (With quick shoe.)
1970.Jun : price56,500-yen / Standard lens :Auto Miranda 50mm f1.8
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.

ペンタカバー上にクイックシューが付けられるようになりSENSOREX Cと名付けられた。スペックは変わっていない。
センソレックスは製造期間も長く、当会はブラックをバリエーションとしていないがMHSでは実に7つのバリエーションまで分けている。

SensoretMIRANDA SENSORET
1972.Jly : price23,000-yen /
Standard lens :Soligor Miranda 38mm f2.8
*SEIKO ESF・4sec〜1/800、f2.8〜f13(Program)* CdsプログラムEE、シンクロ1/20
逆ガリレオ式採光ブライトフレーム * 視野率84%倍率0.5倍 * 距離計の基線調は24mm(有効基線調12mm)
大きさ・110x70x52mm, 重さ410g
ハンドストラップとソフトレリーズボタン、レンズキャップが付く。ボディーカラーは6色あった。

唯一ミランダが発売した電子シャッター・プログラムEE、距離計連動式のコンパクトカメラで、レンズはテッサータイプの3群4枚 である。
初めてのコンパクト機だが、ミランダらしくユニークな機構がちりばめられている。
国産コンパクトカメラでは初めての露出補正機構が付き、専用ストロボでフラッシュマチック式のオート撮影が出来た。
広角と望遠のコンバージョンレンズが用意され、コンパクトカメラに於いてもシステムカメラの威厳を保った。
他にOEMされた様子もなく一機種のみで消えた。

Sensorex-II MIRANDA SENSOREX-II
1972.Feb : price58,000-yen / Standard lens : Auto Miranda 50mm f1.8/f1.4
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.

センソレックスのボディー、ペンタ部のデザインを一新した追針式のオーソドックスな一眼レフである。
巻き上げレバー側に開放値セットダイアルが移されデザインは非常に洗練されたものになったがペンタカバー部の形状が変わり、旧型と互換性がなくなってしまった。
海外、特に米国では非常にポピュラーなミランダだが国内中古市場では滅多に姿を現さなかった。
現在よく見かけるものは、ほとんどがe-bayなどで逆輸入されたものであろう。

MIRANDA EE MIRANDA AUTO SENSOREX EE
1972.Mar : price62,000-yen(wf1.4 /72,000-yen)
Standard lens :Auto Miranda E 50mm f1.8/f1.4
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.980g 144 x 93 x 87

新開発のミランダ E レンズが採用されたEEカメラである。
測光方式を選べ、平均、部分測光切り替え式であった。
ミランダ倒産までのフラグシップであり販売量も多かったようでミランダの人気機種であった。
シャッターストロークはこの当時のEEゆえ、かなり重く、純正でソフトレリーズボタンがついていた。
この機種よりセンソレックタイプもシャッターボタンが上面に移動した。

Soligor TMSOLIGOR TM , MIRANDA - MT & PALAS
1974 : price50,800-yen /
Standard lens : Auto soligor(auto pallas) 50mm f1.8
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.
850g.145x94x87


MIRANDA SENSOMAT REのP(M42)-マウント仕様である。これもシャッターが上部だけになっている。
中央重点式絞り込み測光TTL 、一眼レフカメラの基本のようなスペックのカメラであった。
ペンタプリズムにはmirandaとsoligolの2種類あるようでヨーロッパを中心に出回ったようだ。ドイツではPALASというブランドでも販売されていた。
レンズはAuto soligor LensというM-42マウントでミランダ、ソリゴールのラインナップと同じである。(PALASにはAuto PALAS Lens)

RE2MIRANDA SENSOMAT RE-II
1975.Mar : price62,800-yen(wf1.8 /59,800-yen)
Standard lens :Auto Miranda EC 50mm f1.8/f1.4
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000.
size : 875g 144 x 95 x 87


スーパーマイクロスプリット・ピントグラスという明るいピントグラスが採用された、センソマート初の開放測光機である。
ECレンズを使用しないと開放測光できないため、事実上マウントの変更に近いリニューアルである、ECタイプのレンズは旧タイプのミランダには付かない事もある。
カメラボディーの方は基本的なスペックはミランダFと変わらず、実に12年間もブラッシュアップし続けていたのだ。

Miranda dx-3 dx-3 dx3motorMIRANDA dx-3 MOTOR
1975.Apr : price75,800-yen(wf1.8 /71,000-yen) Standard lens :Auto Miranda EC 50mm f1.8/f1.4
ElectroFocalplane Shutter : B,4sec〜1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000. size : 790g 134 x 89 x 86


国内で発表された最後のミランダであると同時にミランダの最後のフルオリジナル・カメラになった。ボディーはとても小型で金属製である。
ミランダで最初で最後のペンタプリズムのとれない一眼レフで、 初の 電子シャッター機。
メーターは三点のLED表示、シャープな視野を約束する新しいスーパーマイクロスプリット・ピントグラスという視野率-94%のファインダーも売り物だった。
ボディーカラーはブラックが多い、 クローム・タイプは販売地域もかぎられており現存数は少ないようだ。

dx3 MOTOR DRIVE 1975 : price51,800-yen
巻き戻しも可能なモータードライブは、秒/3コマ、連続撮影時は1/15-1/1000間で使用可能というスペックは立派である。
実際に使用した感触では、モータードライブの質感はとても良く、作動も軽快であった。

EE2MIRANDA EE-2
1976. Mar : price export-yen Standard lens :Auto Miranda EC 50mm f1.8/f1.4
Focalplane Shutter : B,1,2,4,8,15,30,60,125,250,500,1000. size : -g 144 x 93 x 87


オートメックスタイプ筐体の最終型で、事実上の最終機である。ECレンズにより開放測光可能だ。MIRANDA SENSOREX EE同様に測光方式が選べる。
内部機構はリニューアルされシャッターフィーリングは劇的に改良された。
面白い機構としてはファインダーの脇に小窓が在り、小さなミラーを介してシャッターダイアルに刻印されたシャッタースピードを読み取る事が出来た。正像にならないのでシャッターダイアルには反転した数字が彫られているのがミソである。
ヨーロッパ圏にはMIRANDAEE-2のマニュアルは届いたらしいが現物が到着する事は無く、そのままミランダは倒産した。
内部を検証すると、電気系統の配線が雑で電池室は圧迫によって外れやすいなど、永年のノウハウはどこに行ってしまったのか?手慣れた感じのしないものに見えた。

Soligor TMSoligor TM-2
スペックは上記SOLIGOR TM を参照

アクセサリーシュー付きSoligor TM。ミランダの最後のモデルになった。
これにも「PALAS」というドイツのみのブランドのモデルもある。大平洋地域では販売されていないようで現在も法外な値段が付くようだがヨーロッパではさほど珍しいものではないそうだ。日本では広告が出ていたが実際販売されたかどうか判らない。*この1976年の2機種はもう国内販売されなかったらしい。

later Miranda K mount
K-mount Miranda 1978 Made by Chimco and Cosina...

K-mountのミランダもよく見かけるようになった。
しかし、これらのどれもオリジナルのミランダとは一切関係がないだろう。
奇しくもミランダのプロトタイプは不死鳥の意味を持ったフェニックスと言ったが、ブランドのみが不死鳥のように再生したらしく
残念ながらオリジナルのミランダは完全に消えてしまった。

■■■■    ミランダの商標は一体どのような流転をしたものやら。
ミランダ倒産から数年後、1980年代になって太めのロゴでMIRANDAと書かれた一眼レフや110、双眼鏡などを見かけるようになった。 そのなかの一つ、最も興味深い「ミランダ」は、関連会社のミラックス商事が1978年に販売したとされるKマウント機でシィーマというメーカーの「CIMKO」のOEMであった。
このシムコはトプコンの技術者が多数移ったといわれるメーカーだが、カメラそのものの実体はなんとトプコンで未発売に終わったトプコン最後のオリジナルカメラ「AM-1」だったのである。
このカメラはキエフをオリジナルブランドで売っていたNYのケンブリッジカメラでは「リンデンホッフ」のブランドで売られていたようでもあり、ダモノカメラマニア垂涎?のアイテムである。
シィーマはチノンに吸収されたとも言われ、後のチノン製ミランダに何となく繋がっていく。さらに、シムコレンズにはミランダの最後期のECレンズによく似たものがあり非常に気になる。

■■■■    また、コシナ、チノンのOEMでミランダMS-1,2-MS-2などのKマウント機はイギリスのDIXON'Sという販売店の独占販売?で80年代に現われた。このブランドでは110カメラやレンズや双眼鏡などもあったようだ。
現在は一眼レフは無くなったらしくコンパクト35mmカメラと双眼鏡がカタログに載っている。
(DIXON'Sがどういった店なのかいったことがないので判らないのだが ヨドバシカメラのような量販店らしい)
ドイツではソリゴールブランドが復活しており、ソリゴールブランドのコンパクトストロボなどが現在では東京のレモン社などで売られているが
MHSも研究会も、これらは昔のミランダとは縁もゆかりもないと考えている。
ドイツのソリゴール自体はAIC資本のようで、ミランダ買収後1968年に創設されていたようだ。

■■■■    ミランダは倒産後どうなったのか?
bankrupt and Later Miranda

また聞きではあるが少し分かったので簡単に。
狛江にあった本社工場のカメラ製造機械などが破産管財人によって全て韓国に売られ、残った半製品は仙台のバイヤーに売られて本社と工場はからっぽになった。
1976年12月に負債総額20億円で倒産してミランダ カメラは完全に消えた。
1998年の「中古カメラGET」誌、 三宅 岳さんの「ミランダへの旅」によって負債総額が20億円だったこと、 長野の方に工場があることを知ったが、この工場の方には、まだミランダの痕跡があったというのでおどろいた。しかし、あの頃のミランダとは違う新しいミランダのパーツだったかもしれない。
一時隆盛を見た韓国製のカメラはひょっとするとミランダの製造機器を使ってつくられたのかもしれない...。

■■■■    Memo01/11/09 -
昭和38年より標準レンズの自社生産開始。
ミランダFに取り付けて販売開始(昭和39年10月)。
昭和44年 8月 祖師谷工場を開設 レンズなど生産。
昭和45年10月 レンズ研磨、組み立てなどの総合レンズ工場を長野県池田に開設。
昭和36年 社長交代 萩原 彰 氏から 松本 勲 氏へ
昭和37年 社長交代 松本 勲 氏から 和田 真 氏へ

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